神道と仏教が共存・融合する日本人の宗教観

「日本は仏教国」と言うけれど...

一般的に「日本は仏教国」と言われますが、文化庁の宗教統計調査をまとめた『宗教年鑑 平成29年版』によると、確かに宗教の系統別信者数で最も多いのが仏教系で約8,770万人(48.1%)ですが、神道系も約8,474万人(46.5%)となっており、数字の上では拮抗(きっこう)しています(※ただし信者の定義・資格などは、各宗教団体の判断基準による)。しかし、仏教徒でも神社や教会で結婚式を挙げたり、神社で初詣やお宮参りをしたり、クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)を楽しむ人は多いので、それらを宗教行事として明確に認識している人は少ないのが実態と言えるでしょう。

神道と関わりの深い天皇家も、もとは仏教徒だった

皇室では、陰陽(おんみょう)道や神道、儒教などの影響を受けた宮中祭祀が、現在は天皇の私的儀式または公務の一つとして営まれていますが、これは朝廷の復権を意図した光格天皇が宮中祭祀を復活させたことで神道色が強まり、それ以前は仏教色が強かったとも言われています。京都・東山の真言宗泉涌(せんにゅう)寺は、皇室の菩提寺(御寺(みてら)))とされ、鎌倉時代の後(ご)堀(ほり)河(かわ)後堀河(ごほりかわ)天皇や四条天皇をはじめ、江戸時代の後水尾(ごみずのお)天皇以降、幕末の孝明(こうめい)天皇に至る天皇陵が同寺域内にあり、天皇家がもともと仏教徒だったことを示しています。

神道と仏教が激しく対立した時期も

神道と日本仏教は、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説(神道の八百万(やおよろず))の神々は、実は様々な仏が化身として現れた権現(ごんげん)であるとの考え)など、歴史的にも深い関わりがあり、両者が融合し一つの信仰体系として再構成された現象を「神仏習合(神仏混淆(こんこう)」と呼びます。しかし、両者が激しく対立した時期もあり、1868(慶應4)年発令の神仏分離令が引き起こした廃仏毀釈(きしゃく)運動(仏教寺院や仏像、経巻を破壊し、仏教を廃する行為)は、1876(明治9)年頃まで10年近く続きました。これによる廃寺や破却された神塔も多く、今なお首のない仏像(上記画像は赤城山地蔵岳)などが各地に見られます(美濃国(みののくに)の苗木藩〔現・岐阜県東白川村〕では藩内全てのお寺が廃寺となり、今でも葬儀は神葬祭が通例となっている)。いずれにせよ、多くの日本人が仏教と神道の習慣(信仰)をバランスよく受容しているように、皇室と両者の関係も時代により変化してきたことが分かります。

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