東日本大震災の記憶と教訓を後世に

今から10年前の3月11日に何が起きたのか

2011年3月11日午後2時46分、それが悪夢の始まりでした。岩手県沖から茨城県沖まで(南北約500㎞、東西約200㎞)を震源域とするマグニチュード9.0の地震が発生。「1000年に一度」とも呼ばれる、日本周辺における観測史上最大の巨大地震で、最大震度7を記録した宮城県栗原市をはじめ、東日本各地に甚大な被害をもたらしました。東北の太平洋沿岸部では、波高10m以上、最大遡上高40.1mの大津波が記録されており、ギネス世界記録に認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤も破壊され、津波が港や市街地に流れ込むショッキングな映像が、当日のテレビ番組で何度も放送されました。津波による犠牲者は1万4,000人余り(人的被害全体の約90%)、行方不明も2,500人以上に上ります。最多の犠牲者を出した宮城県では火葬の限界に達したため、仮埋葬(一時的な土葬)が行われました。さらに、津波に襲われた東京電力福島第一原発で重大な放射能漏れ事故が発生。発生直後の避難者はピーク時で約47万人とされ、帰還困難区域(7市町村の一部)で暮らしていた4万人以上が今なお県内外で避難生活を余儀なくされています。避難中に(肉体的及び精神的に)健康を害して亡くなる震災関連死は3,700人余りですが、原発事故の避難中に心身いずれかで体調を崩して亡くなる原発関連死は福島県内で少なくとも1,300人余りと推計されています。

震災から学んだ教訓を次の震災にいかに生かせるか

あれから10年。すでに他界した人もいますが、当時10歳だった小学生は20歳になりました。被災地では、国や自治体の震災復興計画によりインフラ整備や災害公営住宅、防潮堤などが建設され、震災復興祈念公園などの整備も進んでいます。福島県では、主な居住区の除染作業が完了し、帰還困難区域以外の避難指示はすでに解除されています。それでも復興計画の大幅な遅れや見通しの誤りなどもあり、避難者の帰還は進んでいません。完成した災害公営住宅も空室が目立っています。町中の風景はキレイに整備されても、以前の故郷とかけ離れた姿に変貌し、地域の人々が気軽に集まれるコミュニティの場がないとも言われています。近い将来発生が予想される南海トラフ巨大地震も「1000年に一度」の災害とされます。いまから防災と減災に備えておきましょう。

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